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知覚は幻 ラマチャンドランが語る錯覚の脳科学 (別冊日経サイエンス 174) [自然科学]

認知神経科学者ラマチャンドラン夫妻がScientific American Mindに連載中の「Illusions」の全30話を1冊にまとめたアンソロジー。第21話「3Dの錯覚」のみ視覚神経科学が専門のS.L.マクニックとS.マネチネス=コンデ。

錯覚とは実在する対象の「真の」性質とは異なる近くのこと、対象の性質の何を「真」とするかという認識しだいでどんな現象でも錯覚扱いにすることができる。一方知覚の方は知的修正を受け付けない。目の錯覚だと教えてもらっても錯覚図形の見え方は変更できない。

ラマチャンドラン夫妻は身体図式というそれまで錯覚研究者が扱ってこなかった現象をテーマに加え臨床的な鷹揚に言及している。錯覚研究が実際の役にたったわけである。

監修者の立命館大学文学部心理学専攻教授の北岡明佳氏が、おやじギャグがうまく翻訳できなくて残念だといっていた。
また、このような良書を母国語で読めるのは、企画力のある会社、適切な助言ができる監修者、購入する読者が必要で、どこの国でもできることではないといっていた。


第一話 陰影が産む幻

円盤にグラデーションの陰影がついていると、凸凹を感じる。
そのとき光源は上からとして判断している。これは頭を180度さかさまにしても保存される。
前庭系からの信号が視覚中枢に伝わって世界像が修正されているのだが、頭上の太陽は修正されない。
実は視覚は脳で複数の情報処理モジュールが並行して働いた結果なのである。
一部のモジュールは前庭系とつながっている。陰影をもとに物の形を推定するモジュールはそうではない。
これは、ある視覚イメージを「世界系座標」に合わせるように補正するには計算処理がかさんで時間がかかりすぎるので、普通は頭をまっすぐにあげていたので簡略化したのだろう。

一瞬で球が判別でき、球のグループとくぼみのグループが区別できるといった初期段階で抽出されたいくつかの基本的特徴だけが際立ってグループわけが可能になる。
緑の背景に赤い点が散らばっているのは一瞬でわかるが、しかめつらから笑顔は一瞬では際立ってはみえない。
色は初期段階で抽出されつ基本的特徴だが、笑顔はそうではない。
同色の断片をつなぎあわせて、なにかを判別するのは草原でライオンを判別するように生物に必要だから進化したのだろう。
陰影の情報も色と同様に視覚情報処理の初期段階で抽出されていることは、サルのニューロン実験とヒトの脳画像を撮影の実験で確かめられた。
ちなみに球を真っ黒と真っ白半分に塗り分けると明暗の向きは感じるもののグループとしては知覚されず、これは奥行きの近くが我々に重要あることの証明である。

ガゼルはこの陰影の原理を利用して腹は白く背中は黒っぽい逆陰影で周囲から際立って見えなくなる。
イモムシも逆陰影、なかには逆逆陰影がいるが枝の先で逆さになっている。
タコは皮膚にある「色素胞」という色素生成細胞を、前庭系からの指令で、体表の暗部と明部を入れ変えるのに使っている。
ダーウィンはセイランが目玉の模様を通常時と求愛時に変えているのを発見した。陰影を利用して求愛時は浮き上がっているように見えるのだ。
単純な陰影のついた円から、我々の視覚系の根底にある想定を探り、進化上の適応を形作るのに演じてきた役割まで明らかにできる。


第2話 模型の手から生じる触覚
ゴムでできた模型の手が誰かに触れられているのを見て、自分の手が触れられているかのような錯覚を起こすことがある。
あなたの右手を仕切り板などでみえないようにして、見える側には模型の手を置く。他の人に両方の手を同時にたたいてもらって、20秒から30秒たつと模型の手から直接感覚がくるように感じる。

実際の手と模型の手がよく似ているので触れられたという感触が偽の手から来ているかのように騙されてしまい、関節や筋肉の受容器から伝えられる本当の手の位置と、目に見えている模造の手の場所には食い違いがあるのだが、この錯覚はその違いを圧倒する、という説がある。
しかし、触ってもらう物体があなたの手に似ていなくても(テーブルでも)この現象は起こる。時間はかかるかもしれないけど。
ラマチャンドラン夫妻たちの実験では、そのごテーブルが攻撃されると恐怖を感じるほどボディイメージを持つらしい。

この錯覚は近くの基礎をなす、2つの重要な原理を示している。
1つ、近くが主に多くの感覚入力から統計的相関を抽出すること。(たたかれた手とテーブルの模型におこることに相関関係があるに違いないと思う)
2つ、こうした相関を抽出する精神機構が無意識的なプロセスによっていて、その過程が高次の知的認識にはとらえられにくいこと。

こうした実験は「幻肢」を感じる人の研究が元になっている。
幻肢とは、けがや病気で片腕を失った人が、その後も腕の存在をまざまざと感じる現象である。


第3話 フィリングイン 脳は真空を嫌う
私たちの近くは脳による理知的な推論作業によるところが驚くほど大きい。網膜に楕円形の白いイメージとして映った物体がなにか?我々の瞬時に正解を割り出す。自然界の統計に基づく推定を無意識に行うことによって、答えを導き出している。この推論を錯覚から明らかにすることができる。

盲点とは網膜上の「視神経円板」と呼ばれる部分で、ここには光受容体がない(視神経が網膜を貫いて眼球の外へ出ていく場所になっているため)これを体感する簡単な図ものっている。
盲点は驚くほぼ大きく、夜空に浮かぶ満月9個分に近い視野を占めている。訓練で見たくないものを盲点に落とすことができる。
ただし必要と思うと脳がそれを補う「フリィングイン(視覚的充填)」処理がおこる。

このフィリングインのいろんな例がのっていた。
そしてフィリングインは「表面補完」と呼ばれる能力の表れであろうとしていた。
表面補完は自然界に見られる連続した面や輪郭線を割り出すために進化してきた能力で、対象が部分的に隠されていても認識できるのはこれのおかげ。

もう一つ視覚実験がのっていて、テレビの放送されていないチャンネルの雪を部屋の壁に降らすというもの。脳は真空を嫌うの例とされていた。
我々が外界を注意深く観察しているときでさえ、脳はわずかしか情報をとりいれていない。多くは脳によって補填されているのだ。だから私たちが個人で感じている豊かな経験は、大半が幻であり、推論に頼っているのだ。


第4話 ゴリラ効果 脳が生み出す見落とし
バスケットボールの試合の最中に何回パスが回ったか観客に数えさせる実験をする。その実験の最中にゴリラの着ぐるみがコートにはいって胸をたたきでていったが、半数の観客は気が付かなかったという。
我々の目はビデオカメラではない、目にしたものからわずかな情報しかとりいれていないのである。

こうしたゴリラ効果を専門用語で「非注意盲目」とか「変化の見落とし」という。
これは私たちの視覚系で働いている一般的な原理の一部をなしている。
脳は常にストーリーを作り出そうとし、その話の筋書きにぴったりこないものや注意を向けている作業と関連の薄いものは意識からすっかり拭い去られてしまう。
この簡単な例が間違い探しゲームで、似ているので同じと処理してしまう。

あなたが部屋を見回すとき、網膜上の像は素早くジャンプしている。なのに世界は安定して見える。これは善投与で生まれた眼球運動指令信号のコピーが視覚中枢に送られることによるとによあり、ジャンプしているのではなく、眼球の動きのせいという情報がもたらされているためと思われていた。
しかし、この方法では、テレビをさかさまにしたり、テレビの音を消して、横から視野の端でテレビをみると不快に視界がゆれるのを体験することは説明できない。
テレビの上下が通常通りで音声が聞こえていれば、どんなに場面が切り替わったり、カメラの向きが変化しても、本筋には無関係なものとして処理できるが、視覚中枢から入った情報だけの場合、脳が意味を見出すのが困難なためと思われる。これは日常生活でも同じで、意識が統合的で首尾一貫しているのは、そのほとんどが内的に作られた都合のよいふぇくしょんであるから。

非注意性盲目がおこるのはシーンが複雑である場合だけでない。単純な図形でも起こる。
また小さな赤いx字形の横に十字架を表示し、その縦棒と横棒のどちらが長いか答えさせるといった実験中に、十字架の上に単語を重ねても気が付かないなどの現象も実験で確認されている。


第5話 幻の輪郭のリアリティー
コンピュータは驚異的な速度で計算できるが、あいまいなイメージ断片から首尾一貫した映像をくみ上げる人間の離隔系の不思議な能力には遠く及ばない。脳には世界の統計に関する知識がつめこまれていて、それを使ってありそうもない答えは除外し、正しい解釈を難なく導き出しているようだ。

4つのパックマンが四隅にならんでいるような図形から、我々の脳波長方形のエッジを幻として感じる。
これは「が4隅にあってもおこらない。また背景が市松模様になっているとき、市松模様とパックマンがずれているとおこらない。
また、市松模様の輝度がいっしょだと長方形はあらわれない。
明暗の輝度が単純に変化していると幻の円が上の方から光が照らされているように感じる。しかし実際に円の輪郭をかくとふくらみを感じなくなる。幻の輪郭は本物の輪郭よりリアルにみえる。
このような輝度のエッジは影の輪郭やシマウマのストライプなどさまざまな理由で視界の中に生じている。これらの輝度のエッジは必ずしも物体の端を意味しない。

ある特定の方向の線がスクリーンの特定の場所(つまり網膜上の受容野)に示されたときだけに発火するニューロンが後頭葉の「17野」と「18野」に存在する。その多くは特定の長さの線だけに反応し、より長い線に対しては発火を止める。
市松模様にあわせて長方形がうきでるパターンのパックマンの右側に赤い点をうち、それをみていると幻の長方形が消える。幻のエッジを伝えているニューロンが過剰に活性化して神経伝達物質を使い果たし疲労するのだ。

最後に透明の物理法則を含んだ複雑な規則が「適用」される場合。
視覚処理の処理段階の細胞が幻のエッジを伝えているのだが、注目している対象に基づいてトップダウンの調節がなされ、その光景について全体的な一貫性が取れるように幻の輪郭をうけいれたり拒絶したりする例。

第6話 擬態 敵の目を欺く幻
視覚の重要な目的は検出とエサなのか捕食者なのかの判断。
みな周囲の色と模様にとけこんで自分の身を隠すためにあらゆることをする。
逆陰影は、太陽にさらされる側を暗く、逆側を明るくする方法で、保護色の一種である。
イカやタコ、カレイは身体の模様や色を自分のいる場所に背景にあわせてかえられる。
カメレオンが体色をかえるのは生殖となわばりのためでカムフラージュではない。
冷水性のカレイは、体表の模様の「粗さ」を背景の砂利や小石にマッチさせるように変えるべき驚くべき能力をもっている。ちなみにこの変化は視覚に基づいていて、盲目のカレイはできない。
これには、カレイが変化するのはわずかなので、我々の目の錯覚がカレイを背景に溶け込ませているとの説もある。

ラマチャンドラン氏たちは熱帯のカレイでこれを実験。背景が多様な熱帯の方が結果がわかりやすいと思ったから。
6匹のホシダルマガレイで実験したら、華麗な変身能力が確認できたという。
しかも変化は2秒から8秒でおきるので、反射が関与していると思われる。
カレイの視覚はその目の形状から歪んでいると考えらえるが、脳で自分の身を正確にカムフラージュできりょうに調節しているに違いない。
カレイは皮膚には黒いメラニン色素を含んだ黒色細胞(メラノフォア)という細胞が集まっている部分があり、メラニン色素の粒子の分散を変えて皮膚の部分部分のコントラストを変えている。
また大きさが異なる少なくとも4つのクラスターと、それらとは離れた1個のクラスターが身体の中央部に現れる。このクラスターのコントラストを別々に変化させることで、画素の比率を変え、海底によく見られる模様の多くをかなり正確に模擬している。
この仕組みはたった3つの三原色をさまざまな比率で混合することで知覚可能などんな色でも作り出せるのに似ているところがある。
主成分分析という数学的技法で解析すると、カレイの体表の模様とそのときの背景パターンの関係は、別々の視覚制御で生み出されていることがわかった。

水玉模様にカレイをいれると、体の中央にはっきりとした小さな黒い水玉が現れ、他の皮膚は白っぽい均質な模様になった。
カレイの他の視覚トリックとしては、すくい網を近づけると前に移動して砂をまきあげ、その場に潜ったと見せかけて、実際には電光石火のスピードで後退してどこかほかの場所に潜って身を隠す。
イカとタコは色素を分散させるのではなく、皮膚全体についている不透明なシャッターを単に前回にする。さらに周辺にある物体の形をまねる。
タコはウミヘビやミノカサゴなど、毒を持ついろいろな海生生物の形をまねるがメカニズムはわかっていない。霊長類にあるミラーニューロンがタコにもあるのかもしれない。そうなら6000万年以上前にミラーニューロンはあったことになる。


第7話 世界が安定して見えるわけ
知覚の研究が面白いのは、100年前の小学生でもできたような簡単な実験で、自分の脳の働きを深く知ることができるから。

外界を見たときの知覚は、網膜上の像が脳内スクリーンに忠実に映し出されたものでない。
網膜上の像が一定でも、近くが激変する例として、だまし絵をあげていた。

網膜に映る像がくるくる変わっていても、外界とそこにある物体が安定して知覚される場合。周囲をみまわすなどしても、すべてが岩のように安定して見えるのはなぜか?
仮説として「すべてが相対的に動く」をあげ、簡単な実験で否定。自然に目玉を動かしているときには世界は安定するが、目玉を手で動かすと世界は揺れる。
脳内には独立した2つの神経系があり、いずれも動きの感覚を伝えている。
「像・網膜系」は網膜上の動きを、眼・頭部系は眼球の動きを知覚することにモ度づいている。
ふつう脳はこれらの2つの信号を差引する。
手で目玉を動かす実験から、像・網膜系が存在することがわかる。
カメラのフラッシュの残像がその場では動かないのに、暗い部屋に移動して目を動かすと移動するのを例に、ふたつの系があることを説明していた。

眼・頭部系が生成する信号の発生源について、
フィードフォワード説・・・眼球を動かす中枢からの指令のコピーが動き検出中枢に送られ、像・網膜系の信号を事前に予測して無視できるようにしている。
フィードバック説・・・眼球筋にある受容器そのものが眼球の動きの程度を検出して、動き検出中枢に「取り消し」情報を送っている。
ヘルムホルツはげんきゅの周囲に局所麻酔薬をしみこませて動かないようにして、目を動かそうとしてみた、するとその方向とは逆向きに世界が動いて見えた。このことからフィードフォワードが正しいと結論した。
他にはフラッシュを見た後、暗室で眼球を指で動かしても残像が揺れ動かないなどの例をあげていた。

ストロボ照明で周囲の世界がジャンプしているように見える。
目を動かすとき、眼・頭部系からの指令が動き検出領域に送られる。普通なら、このメッセージは像・網膜の動き信号で相殺されるのだが、ストロボがたかれるたびにスナップ写真をとっているようなもので、これは事実上残像と同じに作用する。このため、眼・頭部系の指令から網膜信号を引き算できz、世界が動いているように見える。
これを利用してナイトクラブでショーガールに光るビキニをきせてストロボをたくと、ビキニが飛んでいくようにみえるので、いろいろ想像できるという演出をしたことがあるらしい。

ところで、手で眼球を動かしても、信号の打消しや差引がおこらないのはなぜか?
知覚は素早く効率的にすすむように進化したため、基本的にはほぼ自動的に進む。
自分で眼球をおしていると知っていても取り消しがおこらないのは、指に運動を指令する中枢は眼球運動指令中枢と違って、メッセージを動き検出領域に送らないためである。
これは我々の祖先が眼球を手で動かしながら歩き回らなかったからである。


第8話 幻に触れる
人間は他の霊長類と同じく、視覚に大きく頼っている。
脳の後頭部のほとんどを視覚情報処理専門に使い。皮質の半分が見ることに携わっている。視覚からの情報が他の感覚と矛盾するときは、視覚からの情報が優位にたつ。腹話術はこの例。
他に、曲がった棒の実験があげられていた。まず目を閉じてまっすぐな棒にさわらせ、次に目をあけて棒をみさせるが、プリズムでまがった棒をみせる。そのあとまがった棒をみながら棒に触れると、被験者は棒がまがっていておかしいところはないという。
片腕の切断をされた人がそのあとも腕が存在しているように感じるのもそうで、こういった働きは視覚補足と呼ばれる。
視覚補足は、私たちが周囲の世界を認識するために、矛盾なくうけいれることができる単一のストーリーを必要をしていることを示している。
このことは研究の上でも視覚至上主義になる原因にもなる。

これらインターモダリティー(通様相性=異種感覚が影響しあうこと)にともなう幻が神経のどんな作用によって生じるのかまだ詳しくは研究されていないが、ある特定の状況では体性感覚信号(触覚に関係する信号)が一時視覚野にみられるという。目の見えない人が点字をよむときの感覚。
体性感覚中枢で処理される触覚信号は視覚情報処理のきわめて初期の段階までフィードバックを送っている。
また視覚補足の研究から、これまで一時体性感覚野と考えられてきた領域に視覚情報入力が投射されている可能性がある。こうした相互作用は、脳の情報処理メカニズムを私たちに教えてくれる。また、神経障害のリハビリテーションに役立つ補法をもたらしてくれる。

触覚の幻の実験
硬貨を2枚冷蔵庫で冷やす。1枚は常温にする。
両側に冷やした硬貨、まんなかに常温の硬貨をならべ、人差し指と薬指で冷たい硬貨に触れる。中指を常温の硬貨にあてると、中指も冷たいと感じる。しかし反対の手の中指をあてても冷たいとは感じない。
ここから、温度を感じる脳の神経経路はこれらの発生源をみわける分解能をおそらくもっていない。中指が触れていない間は冷たさを感じないので、中指の触覚があったら補完するのだろう。しかし、この補完は、脳の高次では起きないとわかる、左右の手の処理は左右の脳で行われ、その結果を統合するのはもっと高次の処理だからだ。
こういっただれにでもできる実験でいろんなことがわかるのが、錯覚研究の面白さである。
左の中指を人差し指の上にを交差させて鼻に触ると脳は鼻が二つあると解釈するのも、従来の空間配列にとらわれるためだ。
同じ大きさの円を、周りに小さな円を配置したり、大きな円を配置したりすることで、大きさ違うと錯覚させることもできる。

目の粗い金網を両手のひらで鋏み、手のひらをこすり合わせると手の触覚がまるでゼリーかビロードのように柔らかく滑らかなものに感ぜられる。理由は不明だが、針金の鋭利な感触と、本来の触感との対比が関係している可能性がある。

両手の浮遊実験、開け放った戸口の真ん中にたって、両手で枠を押して40秒。急に力を抜いて普通にたち、両腕を脇に垂らすと、両腕が見えないヘリウム風船に引っ張られたように勝手にもちあがる。
外がに向けて押し続けているときに脳はこの状況に慣れて、それが本来の状態だと認識するため、急に圧力がなくなると腕が外側に浮遊するというわけ。
これにより脳の感覚野が感覚器官から送られた信号を単に受動的に受け取っているのではないことを示している。むしろ感覚野は外界との動的な平衡状態にあると考えるべきで、その平衡点は変化する環境に応答して常に動いている。


第9話 ダ・ビンチコードを解読する
私たちは網膜上の像をそのままみていると思っているが、それは間違いで、画像から情報を抽出してそれを段階的に処理し、最終的に知覚をもたらす多数の近くメカニズムをもっているのである。

写真でも絵画でも通常のポートレートはいろいろな「空間周波数」をもっている。
シャープで細い線や細かな部分にともなう「高い空間周波数」と
ぼやけた縁や大っきなものによる「低い空間周波数」である。
コンピューターを使って、それぞれの空間周波数を取り除くことができる。
そして、シャープで細かな特徴を見るにはイメージが近くになければならない。
シャープな特徴が見えるときには、それが注意をひいて、大スケールのもの(空間周波数の低い特徴)は隠される。
これを利用すると近くでみると穏やかな表情(高い空間周波数でかかれている)、遠くでみると怒っている表情(低い空間周波数を重ねている)ような写真や絵が作れる。
異なる空間スケールからの情報が、さまざまなサイズの受容野をもついろいろな神経経路によって同時に抽出されているのだ。また、そうした神経経路は興味深い相互作用をしている。
ダリがこの効果を利用したリンカーンの絵を描いている。

モナリザの口元をみると微笑は見えない。しかし目をそらすと微笑が現れる。
口元の独特の陰影(空間周波数が低くなっている)ので、この傑作を直視していないときだけ微笑は知覚される。
研究者がモナリザの絵を高空間周波数と、低空間周波数に分解すると、ぼやけた後者は本物より微笑が明らかだが、シャープな前者は微笑はみえない。重ねるもとのとらえどころのない微笑になる。
この効果で肖像は生きているように見えるとう。

これらの実験から、知覚は単に目に入ったもおではなく、細密さと粗さなど異なるスケールの情報が画像から別々の神経回路によって抽出され、それらがさまざまな処理段階で複合されて、統合された1つの画像に対する最終的な印象を心の中に作り出しているらしいことがわかる。


第10話 気まぐれな恒常性
ポンゾ錯視は、同じ長さの直線を斜めの直線で鋏むだけで同じ長さにみえないといもの。同様なものいミュラー=リヤー錯視があり、線の長さが同じだという知識があっても錯覚は消えない。
第1話ででてきた、明暗の陰影がついた円も同じである。このとい凹よりも凸の方が明るさの勾配が小さく見える。

知覚の恒常性とは、網膜上の像がいかに変わろうとも、その物体の物理的属性が変わったのではないと正しく解釈する傾向のこと。
私たちの脳は知識や前後関係に基づいて画像を解釈しているのだ。
幾何光学的な錯視=まえのポンゾ錯覚のようなものだと、大きさの恒常性がポイントになる。走り寄ってくる男は次第に大きくなるが、私たちは男の身長がおおきくなっているのだとは思わない。
幾何光学的錯視は「透視図法(線遠近法)」という奥行手がかりから生じる。
ポンゾ錯視では、脳が恒常性のルールを誤用して線の長さが違うと知覚される。ちょうど2本のレールを遠くまでみわたしとときのルールが適用されている。これは当人の意思と関係なく自動的に働く。
円板で凸が明るくみえるのは、「明るさの恒常性」が働いているから。反射率が違うのではなく上から光が当たっているので反射率が違ってみえると解釈するからである。
脳は横からの照明になれていないので、横からの光のときにはこうした錯視はあらわれない。
窪みの場合は、実際の窪みでは照明が作り出した明るさ勾配は相互反射で弱まるので脳はそれを適応して補正するので、明るさの勾配が違って見える。そのほかに窪みの方がまれなので、恒常性補正にあまり熟達していないという理由もある。

実世界に見られる非常に微妙な特性までが視覚系のルールとして取り込まれている。
ごく簡単な図を工夫することでその謎をとく手がかりが得られる。


第11話 美意識の神経科学
個人の美に対する好みは様々だが、普遍的な法則があると著者らは考えた。その6つのルール
・グループの法則
 断片がしかるべきところに収まったとき、われわれは心地よく感じる。
 進化したのはカムフラージュを見破るため。

・対称性の法則
 自然界ではほとんどの生物の形が対称的。
 適切な対応をとれるように対称性に注目する早期警戒システムをつくるのは割にあうこと。
 非対称性の仲間は悪い遺伝子や発達の初期に寄生体に感染したりして健康に問題がある場合が多いからという理由もあるだろう。

・超正常刺激(ハイパーノーマル刺激)の法則
 カモメのヒナは母親の黄色いくちばしの端について赤い点をつついてエサをねだる。
 このくちばしは偽物の棒でもかまわなくて、ただ赤い点が付いていればいい。
 そして細長いボール紙に3本の赤い線を描いたものをみせるとひな鳥は狂ったようにそれをつつく。
 ひな鳥の脳の辺縁系に、このパターンが強烈な「ああ、なるほど」の衝撃を送るのだろう。
 これと同じことが、おきているが、収集家は自覚なしで、お金を払っているのだろう。

・ピークシフトの法則
 ある人物の顔を平均顔と比較して、異なっているところをみつけてそれを強調すると、本人よりも本人らしく見える。
 サルの脳でも顔(ボス猿の顔)に反応する細胞は、本物より漫画の方に強く反応する。

・分離の法則
 3Dで撮影した裸の女性より、ちょっとした落書きのような裸婦像のほうを美しく感じる。
 脳が傾注できる資源は有限なので、いたずら書きのようにみえて巧妙に工夫されているスケッチは、視覚系の注意を必要なところにひきつける。
 自閉症や認知症の患者の一部が芸術の才能をみせるのは、頭頂葉の一部の組織が温存され、そこに資源が振り向けられるからと考えられる。

・知覚問題解決の法則
 裸の人がシャワーカーテンあら腕や肩をだすほうが、ヌードより魅力的。
 脳の思考領域が理知的な問題解決を楽しんでいるように、隠れた物体を発見するのを視覚系が楽しんでいるようだ。
 隠れた物体を探し出す行為そのものを愉快に感じるように動物は進化してきた。
 対象の一部が部分的にみえると、それが小さなアハ体験をもたらして、視覚処理の初期段階に注意のメッセージを送る。そのメッセージからさらなる探索を促し、小さなアハ体験を繰り返され、対象がなんであるか認識して「ああ、なるほど」に至る。

巧妙なファッションデザイナーや芸術家は、そうした小さなアハ体験とあいまいさ、ピークシフト、パラドックスができるだけ多く誘発されるように作品を工夫している。

イメージ中の視覚的要素と記号的要素が共鳴しあう「視覚的メタファー」など、美関するさらに微妙な側面はほとんどわかっていない。


第12話 両眼闘争 2つの目が衝突するとき
両目の像の間の差からわれわれは計算によって立体視を実現している。
2つの目に映った像は、脳のどこかで統合され、一体となった知覚表現をうみだしている。

どの弱い老眼鏡に、片方赤、片方緑のフィルムを張り、両目でみると、赤と緑が交互に規則正しくあらわれ、対象物が変化していると知覚される。これはネッカーキューブと同じ。しかし変化しているのは対象物ではなく脳の活動パターンである。
向きが90度異なる2つの縞模様を両目で別々にみると、ときどき入れ替わってみえる、また同じくらいの頻度でそれぞれの目に映る像の切片が交互に配置したようなモザイク模様がみえる。格子模様には見えない。
練習すると2つの像を自由に統合することができる。
この視野闘争とよばれる状態は、色と形についても一緒におきる。この闘争は色や形の情報を処理する過程ではなく、両目それ自体の間におこる。しかし、常にそうとは限らない。

視野闘争と立体視は共存する。
ある種の視覚情報は、私たちは気づいていないが、脳内の2つの経路で並行して処理されることがある。

ブラインドサイト(盲視)と呼ばれる現象は、脳の視覚野に損傷をおって失明した患者が目の前でライトを動かしても知覚できないのに、ライトに手を伸ばして正確に光点に触ることができるという現象も、視神経からの情報が視覚野を迂回する別の経路を通って中枢に送られ、この中枢が手を誘導する案内人になったと考えられる。
両眼視闘争でも視野闘争が起こっている最中に片方の目の像を完全に抑え込むと、抑え込まれた方の目では光点はみえなくなるが、それでも光点へ手を伸ばして触れるだろうか?

両眼視闘争は視覚情報処理の奥ぶかさを比較的簡単な実験によって知ることができる興味深い例である。


第13話 あなたを動かす「幻の動き」
オプ・アートの主要なテーマは静止画によって動きの錯覚を作り出すことで、1960代にブームになった。
この原理は輝度の異なる部分が風変りに配列されていると、視覚経路の運動検出ニューロンを何らかの形でだますのは確かである。ただし正常な視覚をもっていてもこの動きがおきない人が一部にいる。
動画の基礎になっている現象は「仮視運動」または、「ファイ現象」と呼ばれている。
リバースファイ現象は、ドットを右にずらしながら善ドットのコントラストも反転させると逆の動きに見えるもの。

脳内の運動検出ニューロンは動きの方向を検出すのに、左半分の網膜細胞群からの信号と、右半分にある網膜細胞の信号が遅延してくることで発火するのではないかと考えられる。これに加え、図のそれぞれの領域で小さな部分(輝度とコントラストの変動)が順に独特の配置で並んでいることが、眼が一点を凝視しているときであっても常に小さな動き(マイクロサッカード)をしている事実とともに、運動検出ニューロンを偽って活性化させていると考えられる。
これであなたの脳は静止画に動きをみるように騙される。

パターンがある程度の気息性と反復をそなえている場合には、多数の運動検出ニューロンが同時に活性化し、主観的に味わう動きは強まる。
静止画がこういった興味深い動きの印象を生み出す魔法をどう働かせているか完全にはわかっていないが、これらの静止表示が脳ので運動検出ニューロンを活性化していることはわかっている。

運動検出ニューロンの活動をモニターしながら、巧妙な絵で人間の知覚を探ることで、科学者は脳の運動知覚専門領域のメカニズムを理解しはじめている。


第14話 知覚のパラドックス
ある同じ情報から矛盾した結論が導かれるパラドックスは、私たちに悩みと同時に楽しみを与えてくれる。
脳は複数の情報源からちぐはぐな情報がもたらされたら、統計的にみてより確実な情報源に留意して他は無視する。

「不可能図形」とよばれるものによってパラドックスが引き起こされるためには、私たち自身が理知的レベルで確信する必要がある。一瞬みせられただけでは矛盾は感知できないだろう。(脳が捨てる)
運動残効は一方向に動く縞模様を1分間ほど見つめた後に止まっている物体に目をむけると縞模様が動いていた向きとは逆にその物体が動いて見えること。
運動検出ニューロンが見続けることによって疲労するためである。このときも知覚は動いていると確信し、物体が動いていないと論理的に推論してパラドックスがおきる。

知覚は事実上瞬時になされるが、合理的認知(論理)には時間がかかる。
このボーダーにあるのが「悪魔のフォーク」や「不可能な三角形」で、瞬時に矛盾を把握できる人もいる。


第15話 上下正しく 
脳には網膜上の像の複製がない。存在するのは、像が正しく知覚されるように情報をコードした神経インパルスの発火パターンだけである。網膜の像がさかさまなのに、対象が上下正しくみえるというのは、想像をはるかに上回る複雑な現象である。

脳は内耳の前庭系(頭の傾きをの程度を感知するシステム)から視覚野に送られるフィードバック信号を頼りに、どちらが上かを割り出している。脳は頭の傾きを計算にいれて向きを解釈しているのだ。=前庭系の補正

この前庭系の補正は限界があり、本を上下さかさまにしたら読みにくいが、本はそのまま股の間からのぞいてもやっぱりよみにくい=前庭系の補正があるにもかかわらず。

知覚認識が継ぎ目なく一貫しているにも関わらず、脳による画像解析は個別に行われている。
顔の認識は顔の造作の相対的な位置に多くを依存しているので、さかさまの顔の画像も顔として知覚できる。
顔の造作が伝える表情は、もっぱらそれらの造作の向きによっており、顔全体の向きとは無関係。
顔の造作に対して、あなたの脳は補正を加えることができないので、さかさまの顔では表情は解釈されない。
認識は進化の初期段階に発達した基本的な能力であり、能力を獲得したとき、再解釈に必要となる計算義のが進化していなかったのだろう。顔をとりあえず顔だと認識するためなら余計な計算時間がかかっても許されたのかも。
股の間からさかさまの顔をみると、表情ははっきりするがやはり逆さまに見える。前庭系による補正が顔だけに選択的に適用され、顔の造作の近くには影響していないからである。重要なのは前庭系の補正が及ばない造作の形であり、脳が補正をけいさんするための世界座標なのである。

陰影を手掛かりに物体の形と奥行きを知覚しているときにも、前庭系による補正は働かない。
股のぞきで第1話の円盤をみると、でっぱりとくぼみは入れ替わる。陰影から形を割り出している脳のモジュールは前庭系による補正を利用できない。
普段頭を上下さかさまにして歩いていないから、余計な計算はしない。大抵はそれで十分だからだ。
知覚認識は信頼性のあるものだが、絶対確実ではない。
知覚はあらゆる術策を好み「なんでもあり」なのだ。

公園の芝生で寝ころんで直立して歩いている人をみると正常にみえる。
頭をさかさにすると直立して見えるが、上下に飛び跳ねているのも分かる。これは頭を横にしても同様。
長年にわたり頭をまっすぐにして人をみてきたので上下運動を無視するようになっていたのだが、前庭系の補正は及ばないので見えるようになるのだ。

第16話 鏡のマジック
人間が自分のことを内省できるのは、鏡と無関係ではない。
ナルキッソスから仮想現実まで、さまざまな形で表れている。
脳にあるミラーニューロンという細胞は、私たちに「他人の視点に立つ」ことを可能にしてくれる。
このおかげで私たちは自己意識を持てるようになる。
「ミラー失認証」という神経疾患は、脳の右半球に小規模な脳内syっ血をおこし、鏡い映った像と実際の物体の区別がつかなくなる疾患である。かれらは鏡の中のものを拾おうとする。

視覚や自己受容性感覚(筋肉と関節の感覚)といった私たちの感覚は通常、頭頂葉の「角回」と「縁上回」に集まり、そこで自分のボディイメージが構築される。
類人猿ではこの2つが1つの回として癒合していたが、ヒトはインターモーダリティー(通様相性=異なる種類の感覚が相互に影響すること)が重要になり、これが大型化して2つに分かれた。我々はこのささいな変化を出発点に、とてつもなく高度な技術を手にした裸のサルへと進化した。

鏡を使って、左手を鏡の向こうにかくして、両手を同じように動かしていると鏡の中の手が左手のように思えてくる。
そして右手だけを動かすと、鏡の中の手が動いているのをみて左手が動いているように感じることができる。脳は矛盾をきらうのだ。
逆のことをすると奇妙な感覚になる、触覚があるのに見えないから、さらには右手をだれかになでてもらうと、もっと奇妙なことに触られているのが見えるのに触覚がないという状態になる。

縮小レンズを使って手をみて動かすと、手が自分のものではない、他人の手のように感じる。
これは、手や足を動かそうとする「意志」の感覚や、手足が自身の体の一部であるという感覚さえもが、あやふやな土台の上に気づかれていることを示す。

手を動かすときには、脳の前部にある運動指令中枢がシグナルをだし、これが脊髄を通って身体の反対側の筋肉に達する。同時に運動指令のコピーが頭頂葉に届き、視覚と自己受容性感覚の情報とあわせて運動の正確さが確保される、しかし腕がなければ自己受容性感覚の情報が入らなくなり、患者はそれを幻肢の運動と感知する。
一部の患者は腕がマヒしていると表現する。これは腕を切断する前の感覚が記憶として残っているためではないかといっていた。

この麻痺を取り除くために、著者らは鏡をつかって、残っている方の腕の像を、失った腕と錯覚させる実験をした。すると麻痺がとれた人がでた。失った腕が動いているのが感じられ、脳の指令と同期したためと思われる。
脳が矛盾した感覚に折り合いをつけたためであろう。
脳卒中や局所ジストロニアなどにも有効である。学習された麻痺をとりのぞく効果があるのだと思う。

鏡と錯覚で人を欺くことは、脳の情報処理の理解に役立つだけでなく、長らく治療不可能とされてきた神経疾患からの機能回復を視覚情報フィードバックによって促進するという臨床上の利点も期待できる。


第17話 曖昧さと知覚
脳は曖昧さを嫌うが、我々は曖昧さに好奇心をそそられる。
「老女と婦人」「顔と花瓶」などの「双安定図」と呼ばれる錯覚は、脳のトップダウンの影響が知覚に及ぼす影響の例にあげられる。

ネッカーキューブは実はいろんな形にとらえられるのに、我々は立方体だと結論付けてしまう。選ぶのは底辺がこちらを向いているのか、上面がこちらをむいているかだけだ。知覚において曖昧さは例外ではなく通常のことで、同時にそんざいするボトムアップの手がかり=統計的知識に基づいた手がかりによって解決されている。この知識は表面や輪郭、奥行き、動き、明るさに関する知識で、いすなどの知識ではない。

曖昧さは動きを知覚する際にも生じる。電球の点滅パターンで双安定カルテットとう表示で説明。
曖昧さは全部一緒に切り替わるのだそうだ。

トップタウンでは時間がかかりすぎるが、なんの役割もはたしていないわけではない。
眼球からの信号は、まず後頭部にある一時視覚野で処理されたあと、2つの視覚経路に別れ、頭頂葉のhow回路で空間視覚認識とナビゲーションを、記憶に関連した側頭葉のwhat回路で物体の認識をしている。

あいまいな双安定の知覚に言語に起こるプライミングと呼ばれる事前のバイアスが働くかは、まだわかっていない。


第18話 大きさと重さの錯覚
熱力学の第一法則をを発見したヘルムホルツ検眼鏡を発明し、神経インパルスの速度を初めて計測した。
もっとも単純な知覚行為にさえ、世界の出来事に関連する脳の積極的な解釈、つまり知的な推測が関与している。
知覚は感覚受容器から送られて来た入力信号を単に読んでいるだけでなく、それ以上のものを含んでいる。
知覚には機能的な思考過程に似ている面があるようだ。
ヘルムホルツは無意識的な推論と知覚の本質を表現した。
前後の脈絡と世界に亜kんするその人の経験および知識に基づいて解釈されるが、知覚では思考と違い、意識的な認知は一般には必要とされない。

知覚が持つ予測力を示すのが「大きさ・重さの感覚」
同じ形で大きさが違う容器を用意して、両者の重さを同じにする。人間がこれを持ち上げると大きいほうが重いと感じる。はかりにのせて両者が全く同じ重さであることを示しても、その誤認は消えない。これを知覚は知的修正を受け付けないという。
筋肉からの受容体信号にも鈍感になる。利口そうに見えない男が普通にしゃべりだすと聡明に聞こえるもの似たような効果。
どちらも予測計測値が邪魔をしている。
ポンゾ錯視もこの例。

大きさや重さを判断するシステムは自動的に機能する。
しかし、円盤とリングでは、この錯覚が経験されない。脳が判断を下すのは総体積ではなく単に外径らしい。
脳は重さを予想するために他のいつくかの要素を考慮にいれている。プラスチック製のビアジョッキをもつと、異様に軽い感じをうけるだろう。

重いものをもって階段を上り下りすると心拍数が上がり、汗をかく、この余分な作業のために酸素消費量の増加を見込んで対応しているのだ。このとき、想像上の重さによる疲労の変化はあるのだろうか?
重さは同じでも大きい荷物を運ぶときと小さい荷物を運ぶときでは、実際の心拍などに差があるのか?実験中であるが結論はでていない。

第19話 見ての通りの透かし
目にしたものを難なく知覚できる私たちの能力はどれほど賢いのか?
物理法則を知っているのか?
帰納的論理だけでなく、演繹も実行できるのか?
逆説や矛盾、あるいは不完全な情報にどう対処しているのか?
どれほど融通がきくのか?

透明視の研究で、いくつか明らかになったことがある。
透明視とはサングラスのような物体や、そうした物体を通してみた物体指すとここでは定義する。

透明視には2つの条件が必要で、対象が何かを透かして見ている解釈がなりたつ配置をしていることと、輝度の比が正当であること(われわれの知覚は勝手にこれを判断する)

こうした知覚の法則は主に影をうまく扱って実物と影を区別するために進化した可能性がある。
透明視の輝度変化は影にみられる輝度変化に似ている。
私たちの知覚メカニズムは透明視の輝度に関する物理はしっているらしいのに、色の透明視に関する法則はみえていないようだ。
スイスチーズ効果と呼ばれる現象は、透明視がボトムアップ的なプロセスだけで生じるのではなく、トップダウンでもおこることを示している。

輝度比の物理学や、イメージ分割の統計など、透明視に必要とされる抽象的な特性を視覚系は巧妙に利用しているが、色などのその他の特性についてはおろかである。霊長類で色覚が進化したのはかなり後だからだろう。また輝度の変化を伴う色の重なりが自然界で生じるのは、透明・半透明にくらべるとずっと少ないことにもよるだろう。

第20話 床屋マークと窓問題
初期のゲシュタルト心理学者は「床屋ポール錯視」に興味を抱いた。
この現象は私たちの知覚は物理現象をなぞっているのではなく、脳による解釈を含んでいることの強力な例だ。

縦のストライプを窓の後ろで動かしたときき、動かす方向は真横でなくてもある程度斜めでも、真横にストライプが動くと知覚される。網膜上の刺激からカードの動きは幡部tできない、脳は窓問題をそのように処理するのだ。
床屋のポールと同じようにして実験すると、ストライプの斜めの動きは見えず、ストライプは窓の長軸に沿って垂直方向に動いて見える。横の動きと同様にストライプの動きの向きと速さは依然として判然としないが、それぞれのストライプの先端は窓の長軸にそって明らかに上に動いている。端点の動きに助けられて動きの向きが明確に感じられるのだろう。
縦横ランダム配置の床屋ポールを用意して動かすと、一個ずつみているときにはそれぞれの動きが知覚されるがやがて全体として一つの動きにみえる。あなたの視覚系は床屋ポールをそんな状態でみたことがないので、そう解釈したほうが実際的だと判断したのだろう。

丸い円を斜めのストライプが、斜めに移動している、そこに直角になるようにもう一つのストライプを動かすと格子模様が横に動いているように見える。「制約線の交点」それぞれのストライプの動きは運動処理の初期段階で働く運動検出ニューロンによって反応するが、これらの高次の処理にあたっている細胞は個別運動を感知した細胞からの出力を制約線交点アルゴリズムを適用することで統合しているように見える。
他に、それぞれの斜め縞の動きはあいまいでも各直線の交点があきらかに水平に動いていることに注目して、交点は縞の動きを細くして、それを水平に方向に引っ張っているという解釈もある。

第21話 3Dの錯覚 幻が生む現実感
日常生活の経験の多くは脳に入ってくる物理的刺激を反映している。
しかし実際の感覚入力を解釈しているのと同じ神経機構が、夢や妄想、記憶違いの原因ともなる。
科学者がニューロンを発見するより早く、画家たちは平らなキャンパスがあたかも3次元であるかのような錯視のための技法を開発してきた。それは建築にも適用されている。
錯覚とは、ある物体や事象の物理的な実体と、主観的に知覚されたものが乖離していることである。
それを調べることで、脳がどのように物理世界を再形成しそこなっているかを実証できる。

錯覚としての現実感や量感、距離を伝えるテクニックを極限まで駆使したのが、「トロンプルイユ」と呼ばれる技法。
これらの絵画作品は額縁から飛び出してくるように見える。
ローマにある星イグナティウス・デ・ロヨラ教会の円天井など。

左右と奥に向かって同じ角度で傾いている物体のまったく同じ画像を2枚並べると傾きの角度が両者で異なって見える。
ピサの斜塔を映した2枚の写真でわかる。(これは国際錯視コンテスト2007で第1位)
視覚系は世界に関する3次元情報を直接入手する手段をもっていない。
私たちの奥行知覚は、神経系がいくつかの規則に基づいて計算を行うことによって生じている。
脳が使っている規則には、遠近法、立体視、遮蔽、陰影、キアロスクーロ(光源の位置に応じて物体に生じる明暗のコントラスト)、スフマート(イメージ上ではっきりしている要素とぼやけている要素の相互の関係や、周囲の空気そのものの透明度から生み出される奥行きの感覚)などがある。
斜塔の角度の違いを感じるのは、傾いていることの収束角も利用されていることを示す。
平面にかかれた漫画の絵などでは生じないから、奥行知覚の手段にしていることがわかる。

私たちの脳は2次元の網膜から届いた情報に基づいて奥行きの幻を作り出している。
錯視は、色や明るさ、形が絶対的なものでなく、複雑な農家色が動的に作り出している主観的で相対的な体験であることを示している。これは視覚体験だけでなく、どの感覚にもいえる。
マトリックスでいわれているように、私たちは脳の主体的体験を構築して生きている。それが現実とマッチするかもしれないし、そうでないかもしれない。
我々はみな、脳に作り出された幻の「マトリックス」の中に生きている。


第22話 視覚失認 見えているのに、わからない
昔は後頭部の「視覚野」だけが視覚を処理しているとおもわれていた。
今は、人を含め霊長類の脳では30以上の領域が、動きや色、奥行きの認識など、視覚に関係していることが知られている。
視覚は複雑で精微。計算目的の異なるさまざまな脳領域が視覚処理を分担している。
これらの領域のどこかが損傷すると、視覚認識に選択的ではあるが往々にして重大な障害が生じる。そこで初めて正常な資格の広範で精微な処理に気が付く。

視覚野の損傷で視野の半分を失い、光の輝点もみえないはずなのに、手を伸ばして触れたGY。
ジョンという元空軍パイロットは、脳卒中で両半球の視覚野を部分的に損傷し、物は見えるのに意味がわからなくなった。妻は声でわかったという。これは視覚失認という。これは「老女と若婦人」で片方が認識できないときの感覚に似ている。外国語をきいたときもそうかもしれない。

視覚に関する30以上の領域には複雑な接合があるが、あr単純な統合的パターンがみられる。
視神経から入った情報は、途中where経路=旧経路と、新経路にわかれる。旧経路は脳の上丘につながり、反射的にそちらを向いて見回す。新経路は対象が何かを特定するためのもので、物体の特徴(色、縁の向き、動き)などが解析され、そこから頭頂葉につながるhow経路と側頭葉につながるwhat経路に分かれる。howはその物体はいかに使うか、扱うかの処理にかかわり、whatはその物体が何か、何を意味するかを処理する。
これらの経路は30の視覚領域すべてを通っている。

GYの場合物体の特徴を解析する部分が損傷しており、howもwhatも情報は送られない。でもwhereはるので手を動かせる。
旧経路には意識はいらないらしい。

ジョンの場合側頭葉の中立的でありふれたものの認識に関係する脳領域が主に影響をうけている。
whatが損傷しているのである。

こうした症例から正常な知覚についてしることができたのである。
しかし、こうした脳領域の出力がどのように組み合わされて継ぎ目のない意識的知覚が作り出されているかは未解決の謎だ。


第23話 私の世界は半分 半側空間無視
脳卒中で右の頭頂葉を損傷したサリーは左半身がマヒした。そして左側がみえていないわけではないのに、左側に心を傾注できなくなった。これが半側空間無視である。

普通人間はなにかに注意を向けていると、他のことに意識がいかなくなる。
感覚の過負荷を避けるために私たちのだれもが行っている一種の無視が極端に表れたのが半側空間無視ともいえる。
半側空間無視は、脳の右半球に損傷をうけたときだけに見られる。左が損傷をうけても右が補うらしい。
患者は右側しかみなくなるので容易に判別できる。
絵をかかせると時計の半分だけをかくなどの症状がでる。
患者は気がつかないが、何か変だと感じはするようだ。
患者にとっては左はみえているが存在しない。自分の左腕がマヒしていることにも気づかない。
サリーは左側がマヒしているほかは知的で頭脳明晰であったが、鏡で左側を映して、左側にあるペンをとってくれといっても、ペンは鏡の中にあるという。そしてペンをつかみ損ねてもその感覚は矯正できない。
これを著者らはミラー失認証と名付けた。

鏡の映ったものを鏡像だと認識するには、脳に独特のダブル描画ができる必要があるが、右半球の頭頂葉が傷ついた患者はできないのだろう。

半側空間無視の患者は左側を認識できないのでリハビリにも問題がある。
克服方法はわかっていない。


第24話 対称性の力
どんな人にも対称性の美は明らかだ。
自然界にみられる対称性は注意喚起の早期軽傷システムだ。
赤ちゃんでさえ対称性が好きで、魅力的だと認識している。
寄生虫に侵された人は見た目が非対称になr場合があるためと考えられている。
非対称は弱い遺伝子の象徴とされてきたらしい。

ゲシュタルトでは光景を図形と背景にわけてとらえる。
表示中のなにが図形にとして見え、なにが背景として見えるか決めている多くの法則を発見した。
近接の法則は、近くに位置する2つの輪郭は同じ図形に属していると知覚される傾向。
対称の法則は、2つの輪郭が鏡に映したように対称な場合も、これらが組になって図形を定めていると認識される。
そして対称のほうが近接より優位である。

仮現運動という見かけの動きは2枚の絵を素早く交互にうつしだすことで、動きを錯覚させるもの。
これを電飾で起こすようにするが、双安定カルテットをつくりだす。これは動きの向きが、反対にも見えるものだが、片方を知覚している間は、もう一方の動きはみえない。
これをコンピュータにランダムに配置すると、みな同じ方向に動いているように見える。
しかし配置を対称にすると、半分で動きが逆になる現象が起こる。
これにつていは調査中である。

対称性を求める力は、視野全体で同じ動きをみるという傾向をしのぐ。
すべての知覚は、異なる法則がどのように相互作用するかを決めている階層的な上位ルールに基づいており、そのルール集は周囲の世界の統計的な特徴とその生物が生き残りのために必要としているものを反映している。

シルエット錯視
黒いシルエットのバレリーナが片足を軸に回転している3次元画像として認識されるが、しばらく見続けると回転が逆になる。これを並べてその集団をみると、すべてのバレリーナが右回転または左回転しているように知覚される。
しかしこれを蝶々のような対称形に配置して表示すると、ほとんどの人は対称軸を境に反対周りになっているように知覚される。

動きと方向のこのカップリングは、その物体の時間的な同期に基づいている部分がある。
個別の双安定カルテットや回転バレリーナの刺激によって脳のさまざまな領域に呼び起こされた神経インパルスが同期するためかもしれないという仮説がある。
では、バレリーナの回転をずらすと?大きさを不揃いにしたら?やってみよう!

第25話 立体視ー奥行きの錯覚
霊長類の目は前についている、横についている草食動物より視界は狭い。しかし立体視という利点がもたらされた。
両目は前をむいているが水平方向に離れているので、わずかに異なる視点から世界をみている。この違いは対象物までの相対距離に比例している。
両目の間に2本の指をたて、前後にずらし、近いほうの指をみながら左右の目を交互に開閉すると遠いほうの指が水平方向にシフトすることがわかる。あと台形を上からみた実験など。

脳はどのようにして、2つの目に映ったわずかに異なる像をブレンドして、1つの調和した像をうみだしているのか?
また2つの像のわずかな差をどのように計測・抽出して立体視を可能にしているのか。他方では統合、他方では温存だ。

両眼融合はかつて心理的プロセスとされたが、今では生理的プロセスであることがわかっている。
左右両眼の網膜上対応点からの信号が視覚野のひとつのニューロン(両眼性細胞)に集まる。同時に網膜上対応点でない多くの点からの情報も両眼性細胞に集まり、それらを活性化する。これらのニューロンは左右それぞれの目に映った像の横方向のズレを実質的に測っているので、初期段階でさえ視覚野にあるのは3次元の地図である。
現代のわれわれはビデオカメラに左右の目の映像をとらせ統合してステレオグラムをつくりだすことさえできる。

プルフリッヒ効果とは、長さ45㎝の糸に錘をつるし、それを同一平面内で左右に振り子のように動かす、次にどちらか片方の目の前にサングラスなどのフィルターを置く。すると、振り子が3次元の楕円軌道をたどって、あなたに近づいたり遠ざかったりしているのが見える。
これは一方の網膜に映る振り子の像が暗くなり、網膜から視覚野に送られる信号がわずかに遅れるから。このため脳は振り子の暗い像が空間的に遅れていると誤解する。そして脳が騙され振り子が3次元で動いていると誤解するのだ。


第26話 立体視ー2つの目、2つの像
目から脳におくられた映像情報の処理は、段階をおってすすむが、後ろの段階から前に逆戻りする処理経路がたくさんあり、一連の繰り返しで脳は解答に近づく。
片方の目に映った図形が、他方の目に映ったそれときちんと比較されないと正しい立体視はできない。これを両眼対応点問題という。

ヘルムホルツは形状認識のあと、立体視がおこるのでミスがでないと証拠なく主張したが、
ユレシュがランダムドットの立体視をつくり、これを否定した。
どこにも正方形が認識できないのに、左右差だけで正方形が浮きだすのは形状認識では説明できない。
ラマチャンドランは正方形の入ったステレオグラムから、一部の状況では形状知覚が立体視に先行していることを示した。
さらには、暗示された遮りによるイメージからも立体視ができた。

立体視をおこす生理的なメカニズムはまだ手がかりがない。
示唆を伝えている細胞はV1(一次視覚野)だが、暗示された遮りはV2(二次視覚野)である。V2からV1へのフィードバックがおこなわれているのかもしれないが、証明はされていない。


第27話 アリストテレスの誤り 順応と残効の不思議
私たちの知覚はかなりの画像処理をおこなっていて、そのプロセスの解明に錯覚の研究が役にたっている。
視覚処理の最初の段階で、1つのイメージが異なる特徴にわけて解析される。一次視覚野(第17視覚野)では、主に抽出される特徴はエッジ方位だ。側頭葉のV4という領域では神経細胞は色に反応する、またMT野と呼ばれる領域のニューロンは主に動きの方向に反応する。
これらの細胞には、刺激を受け続けると反応しなくなるという特徴がある。神経伝達物質がなくなるという他に、進化の過程では、定常状態より変化を伝えることが重視されたこともあるだろう。

これらのことは動物実験からわかったことだが、そのような細胞がヒトにも存在することをどうやって確かめられるだろう。
流れ落ちる滝をしばらくみてから、視線を下の草に落とすと、草が上にむかってうごくように見える運動残効である。このことから人間の脳に特徴検出細胞があると推論することはできるだろう。
ちなみにアリストテレスはこの効果を視覚的惰性であると間違って考えた。かれは優れた観察者だが実験がダメだった。

運動順応の原理と似たものに、色の残効がある。
赤と緑の四角の間に点がある図をみたあと、四角なしで点だけの紙をみると赤の正方形があったところに青緑の正方形がうっすらと見え、緑の正方形があったところいには赤みががかった正方形がうっすらと見える。
この効果は主に網膜で起こっている。
目には赤・緑・青の三種類の光受容体色素があり、それぞれ特定の波長に対しもっともつよく興奮するが、赤を凝視すると、それが疲労して、光受容体の活性化比率は青緑にシフトしているのでこのような結果になる。
方位への順応(特定の傾きへの順応)も、この現象の著しい例。これは滝と同じく脳で起こっている。
ヒトの脳に方位特異的な細胞が存在することを示している。

さらにマッカローが、適切な傾きがあって、かつ適切な色がついている線にだけ反応する細胞があることを実験で示した。
しかも、それは長期間続く。そしてカフェインがこの効果の持続時間を伸ばすこともわかっている。
最初の順応段階で脳は、刺激に大志て身構えるようだ。

細胞の疲労によって生じる重農の効果は「随伴性残効」と呼ばれている。
視覚的残効の影響は知覚に関係する神経経路だけでなく、記憶と学習の神経的(そしておそらくは薬理的)な基礎についても手がかりを提供してくれる。

第28話 体外離脱 肉体から分離した自己
自分自身と感じている存在基盤は、実は内的に生まれたはかない構成概念であり、錯覚と歪曲に弱い。
ケタミンという薬を使うと体外離脱体験が味わえる。
これを利用すると麻酔の効果が得られる。

自分の身体を所有しているという感覚と、自分を他とは異なる独特の実体であると感じる感覚はどのように生じるのか?
ミラーニューロンという細胞と前頭前野からのフィードバックの相互作用と著者たちは提唱している。
このシステムが錯乱すると、体外離脱経験につながるのだろう。
このシステムの影響下のもとであなたは他人に共感するのと同じようにあなたの身体に「共感」すると同時に、あなたが自己を他人から分離しているように、あなた自身をかの身体から分離している。

ガラスや鏡でケタミンと同じ効果を得る実験がかいてあった。
右頭頂葉を損傷した患者はときどき、自分を外部からみているように感じたり、もう一人の自分がいるように感じる。
また、自分を小人や巨人のように感じたり、身体の部分が歪んだり膨らんだりしているように感じる。
片腕が母親のものと主張するものもいた。
これらは頭頂葉の損傷個所によってさまざまである。
外部対象を所有しているという感覚は、私たちヒトに広くみられるが、これはもともとは身体に関する感覚を転用したものであろう。

誰かが触られているのをみても自分が触られていると感じないのは前頭前野がミラーニューロンの働きを阻害しているためだ。しかしあなたの手に麻酔をかけて麻痺させると、人の手の感触を感じるという。
鏡を使って視覚的フィードバックを送ると、おそらくミラーニューロンの働きで幻肢の苦痛や脳卒中の麻痺を軽減できる。
鏡を使ってケタミンと同じ効果をうみだせるかもしれない。
あるいは、本当の痛みを治せるかもしれない。
反射性交換神経性ジストロフィーは、ささいなけがで耐え難い痛みを感じる人たちである。これは学習、記憶された痛みである。この障害を鏡をつかって治療する方法を考案し、有効性があった。
身体完全同一性障害というものは、正常な手足を切断してくれと願う奇妙な病気である。これは右の頭頂葉で切断を希望する手足に対する身体像が失われていることがわかっている。腕から感覚があるのに、その出に対応するものが脳にない状態である。

このように脳に異常をもつ人々を調べたり、鏡などの光学的トリックを使って通常の人々に対する感覚入力を操作したりすることで、脳の右頭頂葉がその日との生き生きとした確固たる身体像をどのようにつくりだしているかについて重要な知見が得られる。

我々が自己と読んでいるものは、皮膚と筋肉、内臓からの感覚信号、前頭前野からの抑制信号、そしてミラーニューロンからの入力=つまり他人の脳のニューロンが引き起こした行動に対する反応!の3つが源である。


第29話 誇張を好む知覚
漫画家はリチャード・ニクソンの顔から男性の平均的な顔を差引、そこに残った特徴的違いを誇張して似顔絵を作る。
それは本物よりニクソンらしく見える。
それはピークシフトという経験である。

誇張された特徴が私たちに強い影響を及ぼすのは、ある特殊な形の錯覚であって、それも非常に特殊な形の錯覚であると著者らは考えている。
錯覚は私たちの心と世界を認識する方法を探る素晴らしい窓であるだけでなく、地球上に生命を形作る最も強い力である「進化」が機能するのを助けてきたという仮説を主張。

標準的な進化論は有益な形質を生じる遺伝子をたまたま受け継いだ動物がよりよく食べ、繁殖するためにその有益な形質を子孫に伝えていくというものだ。こうしてキリンの首は世代を重ねるうちに長くなった。
私たちが提案するのは進化のもう一つのメカニズムで、環境中の何か役立つもの(食べ物や潜在的配偶者など)であり、何が脅威を構成するもの(たとえば環境中の危険や捕食者)であるかを素早く把握できるように、ある審美的、知宅的な法則が図らずも進化し、寄与してきたのではないかと思う。それらの法則が動物の形や大きさ、色など、動物の進化の多くの局面を間接的に引っ張ってきたのだと考える。
キリンは仲間とつがうためによりキリン的な特徴を備えた仲間を自動的に選び出す認知システムが組み込まれている。
キリンの長い首は進化で選択されたのは有利であるからでなく、キリンが望ましい特徴を探す際に誇張された特徴に目がいくからだ。
この仮説はダーウィンの理論を置き換えようというのではなく、適応形状がもたらす遺伝子が自然淘汰される意外に、べつの強い力が働いている可能性を指摘したいのだ。
こうした審美的進化論は配偶行動に関係しているが、性選択とは異なる。
このルールによって、生物種の驚くべき多様性を説明できる。
「ひなカモメの原理」セグロカモメの子どもは、母親のくちばしの先の赤い点に反応する。しかしくちばしや、それを模倣した棒よりも、赤い3本の線を描いた棒=スーパーくちばしに激しく反応する。
生まれてすぐにくちばしの赤い点を見つけられるように、脳に組み込まれた視覚経路の検出専門の神経回路には、赤い輪郭線が多いほどよい」というルールがあるらしい。このことから我々は、くちばしに赤い線が2本や3本あるカモメの出現を予測する。
このような特定の事象を予測できる例はそう多くない。

あらゆる動物の視覚系が、その動物種の他の固体を特定するために特定の特徴を利用するように配線されているので、ひなカモメの原理は応用範囲が広いと考えられる。
配偶者候補が、通常の個体よりも「生物種識別用の脳回路」をより適切に活性化する特徴をもっていたら、そうした「スーパー形質」を高める遺伝子が集団内にいきわたることになる。このとき明白は特質が誇張されることはない。その動物の神経配線がもつ独とっくの特徴ゆえに、外観の変化が選択されていく。
マリアン・ドーキンスは感覚処理が情報伝達シグナルの進化に影響しうると考えているが、私たちの仮説は彼女の考えを補足する。より高次元の知覚原理も役割をはたしていると考える点ではさらにふみこんでいる。

グループ化も進化に影響をおよぼしている可能性がある。視覚系には断片的な要素から対象の全体を作り上げようとする強い願望があるが、岩礁の魚たちは体表の模様で自分の輪郭線を乱してこれを利用する。

知覚の法則が生物種の発展に影響するとして、何が予測できるか?
一つは身体的な特徴が時ととおにどんどん漫画化され、簡単に認識できるようになる。
もうひとつは、見えない部分は多様性が少なくなる(アカゲザルの肝臓はほぼ人間といっしょ)ということ。

植物には高度な感覚がないので、動物によって植物が選択される場合を除いて動物より外観の変化が乏しいはずだ。
葉や茎は似たり寄ったりなのに、昆虫やハチドリによる訪問を競う花は驚くほど目立ち、変化に富んでいる。

私たちの仮説は、ダーウィンの進化論の外にあるメカニズムではなく、内部で起きている予想外の相互作用である。
動物が同じ生物種の健康なパートナーをすばやく見つけ出せるように脳の仕組みが出現したが、そうした認知プロセスは必然的に副作用をともなう、まるで役にたたない奇妙な外観や、悪くするとマイナスの結果につながることもある。
視覚的錯覚とそれが利用している法則を研究することは、進化における不可解な傾向に関する手がかりを与えてくれる。

第30話 行間を読む モーダル補完とアモーダル補完
柵の後ろの犬を見る脳の能力は「アモーダル補完」として知られている。補完されたエッジがみえない
補完されたエッジがみる場合は「モーダル補完」として知られている。補完されたエッジがみえる。
この無意識のワザは動物が自分の仲間や捕食者、獲物などを茂みを通して特定できるように網膜上の断片から脳が結び付け認識できるようにした。
これをコンピューターにやらせるのはとんでもなく難しい。
脳のニューロンがこの芸当をどうやっているのかも不明。

ゲシュタルト心理学者たちがこの問題にとりくんで作った錯視図を紹介。

アモーダル補完は知覚現象でロジカルな認識は必要としない。
おもちゃの電車がトンネルにはいって、すぐにでてくるときは、あなたにはトンネルが透明であるかのように電車の動きが見える。しかしトンネルが長く1分間くらいかかると、電車がトンネルをぬけたとわかるのは論理的推論だ。トンネルが1秒で抜けれる程度だとこの教会にあたる状態になる。

輪郭を予想するとう技量は非常に強力なので、世界が実際にどう機能しているかに関する知識をしのいで働く。
これが進化の古い段階で確立したものだからだ。

アモーダル補完が単に輪郭線を視覚的に充填してつなぐとう問題だという例をカニッツァの三角形などで説明。

視覚の基本原則は、境界線を割り出すことで対象を検出することであり、そのために視覚系は利用可能なあらゆる情報を使う。
モーダル補完もアモーダル補完も、それらが引き起こす幻もこの資格の基本原則に由来している。



知覚は幻 ラマチャンドランが語る錯覚の脳科学 (別冊日経サイエンス 174)

知覚は幻 ラマチャンドランが語る錯覚の脳科学 (別冊日経サイエンス 174)

  • 作者: V・S・ラマチャンドラン
  • 出版社/メーカー: 日経サイエンス
  • 発売日: 2010/10/15
  • メディア: 大型本



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まんがサイエンス〈8〉ロボットの来た道 [自然科学]

2002年に発行された、マンガで先端科学を解説する本のシリーズ。
元は「5年の科学」「6年の科学」で連載されていた。
「あさりよしとお」が描いている。
レギュラーキャラは「よしお」くん、「まなぶ」くん、女の子は「あさり」ちゃん「あやめ」ちゃん。
なぜか女子がボケ担当で男子がツッコミというか常識キャラ。

巻頭写真は、いろんなロボットの写真と解説。
非人間型ロボットとして、地雷撤去ロボット、自動車工場の作業用ロボット、ヘビ型ロボット。
ASIOMOの誕生として、そのまえのロボットP2、P3が紹介されていた。
人間型ロボットへの一つの提案として、仕事をしないエンターテイメント型ロボットSDR-3X
感情がでるロボットとして、早稲田大学ヒューマノイド研究所が開発したWE-3RVを紹介。気持ちを表情に出せる。光の方向がわかり、音を感じる聴覚、たたかれたことがわかる触覚、アルコールの匂いがわかる嗅覚をもつ。
SDR-4Xが発表されたばかりだったらしく、「あさり通信」で転んでも立ち上がる、片足で立てるなどと紹介されていた。

☆ロボットの来た道
ロボットのシリーズを宇宙船のように長編でやったもの。

・もう活躍しているロボット
突然タクミくんのところに人間型ロボットがやってくる。
そのわけはロボットにもわからない。
ロボットがどかから来たのか探すために、タクミくんとロボットはロボットのことを調べ始める。
まず、近所で勉強を教えてくれているお姉さんにきくと、
「ロボット」という名前は1920年にカレル・チャペックという人が書いた「R.U.R]というお話にでてくること。語源は無理やり働かせる「robota」ということを教わる。
今では人間に代わって働いてくれる機械をロボットと呼んでいる。
一番多くつくられているのは工場で働いている作業用ロボット。
人間の手の動きをマネしてつくられており、とりつける部品を変えるといろんな仕事ができる。
専用の機械には劣るが、人間よりも正確に、長い時間働き、作るものが変わってもある程度の対応ができる。こうしたロボットはすでに私たちの生活を支えている。

・ロボットの意味は?
タクミ君とロボットはお姉さんから聞いて歩くロボットを作っているところ(大学の研究室かな?)にやってくる。そこではヘビ型ロボットやクモ型ロボットが動いていた。
人間型ロボットはいない理由を聞くと、逆に人間型でなければならない理由をきかれる。
荷物を運ぶなら車輪のほうが速く、ヘビ型なら段差も乗り越えられる。クモ型は岩山を超えられる。
思想としては、「何をさせるのか」という目的にあわせて一番よいしくみやデザインを探すのだという。
そのほうが便利だし、つくるもの簡単。
でも、人間型はムダは多いが何でもできる。

・人間型ロボットの活躍する場所は?
ロボットの種類は工業用のほかに、一つの仕事しかしない「おすしロボット」や銀行の自動支払機、自動販売機、人間が遠隔操作するマニピュレーターなどがある。宇宙ステーションのロボットアームもそう。惑星探査や深海探査をするロボット。
タクミとロボットは電車に乗って人間型ロボットを作っているところに話をききにいく。
そのときタクミは、ロボットはまったく人間と同じことをしている(マネしている)のにきがついて、建物も道具もそのままで、人間の代わりに働けるのが人間型ロボットの強みだと気が付く。
でも、人間型ロボットが全然働いていないのはなぜだろう?

・なぜ人間型ロボットは今働いていない?
話をきいてみると、人間型ロボットは何種類か作られているが、まだ売っていない。
なぜなら、まだ歩けるようになったばかりだから。
人間は倒れそうになると耳の奥にある三半規管で感知してバランスをとるが、これをロボットに組み込むだけで大変。
これができたら、次は歩行だが、まずは足のウラから重心をはずさない「静歩行」を実現。4本足のロボットなどはこうして歩いている。
これはコントロールは簡単だけど早くはあるけない。
そこで、人間の歩き方を徹底的に調べてたどりついたのが「動歩行」一度重心を前に向かってはずして足が地面に着いた反動で体がもちあがり、体が前にすすみ、その勢いで体が前にたおれ、今度は逆足がつく。これを繰り返す。
動歩行は早く歩けるが、同時に手の振りが必要になる。これを処理するのに高性能のコンピュータが必要で、コンピュータの進歩のおかげでロボットは歩けるようになった。
歩き方はまだ進化の途中で、やっと曲がりながら歩けるようになった。

・人間型ロボットの課題
いろいろ調べてわかったものの、人間そっくりのロボットを作ったり、仕事をさせたりしていることはなさそうだった。
歩くだけでなく手の仕事も大変だ。つかむ、持ち上げる、つまむ、まわすなど、人間はたくさんの動作を使い分けて仕事をしている。これをかなりマネできないといけない。
工場のロボットは1度に一つのことしかしないので、そこまで大変ではない。
しかし人間のすることをそのままマネして仕事をしてもらうには、精密な動きをする手とそれを制御する頭脳が必要。
そして家庭内で働くロボットは、転倒しても人間にけがをさせないように軽くないといけない。
ロボットは人間にけがをさせないように、そしてそのうえで自分をまもらないといけない。そういった判断が必要になる。
人間はひとうひとつの能力では機会にかなわないが、なんでもできるというスゴイ能力をもっている。
だから人間と同じように働けるロボットをつくるのは難しい。

・仕事しないロボットって何?
人間と同じような仕事はできないが、二本足で立って、役にたつロボット。
それは、エンターテイメント型ロボット。
身長50㎝体重5㎏。動いたり踊ったりはできるが、物を運んだり作業したりはできない。
このロボットのヒントになったのはゲーム機、ゲーム機の仕事は人を楽しませること。作業できなくても人の役にはたてる。
小さいロボットは倒れるまでの時間が短いので、センサーから情報を受け取ってから体を動かすまでの時間を短くしないといけない。そのため全身を同時に動かす全身協調制御を使っている。動作を早くするために小型軽量大パワーのモーターも必要。
めざすのはコミュニケーションエンターテイメント。人間と対話して動かす、会話することをめざし、宮力は人間の心がわかるロボットにしたいという。
二本足で歩くロボットの一番いいところは、仕事より人間に安心感を与えること。だから人間と向き合って対話する仕事が向いていると思われる。

・心をもったロボット
あらかじめ用意されている答えを引き出すのでなく、その場ごとに直接ロボットが感じたままを反応する、心を持ったロボットはできないか?
というわけでそういうロボットを研究しているところへ。
感情を要素3つで分類、快・不快、確実・不確実、覚醒・不覚性
確実・不確実は相手がはっきりしているかどうか?
覚醒・不覚性は相手に注意がむいているかどうか?
相手がはっきりしていて、注意が向いていて不快だと「怒り」
この状態で相手がはっきりしなくなると「恐れ」など
これにセンサーで刺激の強弱をつけるとロボっトも感情を表せる。
ロボットに感情をつけるのは、機械を人間に近づけること。
そうすることで、人間が機械になれる必要があったのに、逆に教わったり、見ただけで機械の不調がわかるようになる。
人間型ロボットはムダが多いが、機械と人間が作る関係のまったく新しい可能性がある。

・人間型ロボットを作る目的は?
いろいろ聞いて回って、ロボットが出した結論。
今の時代に、自分のようなロボットはいない。
ロボットはすべて目的があって、作られる。では自分の目的は?
友達になるや、介護なら人間にやってもらったほうがいい。
自分のようなロボットがいる未来をタクミが選べば、きっと未来出会える。
そうしてロボットは消えてしまった。
お姉さんは、人間型ロボットを作ることは人間を研究すること。研究の成果はロボット以外にも応用される。人間型ロボットの研究は無駄ではないという。
ロボットは人間の代わりに役にたてれば人間に似ている必要はない。
だから、タクミのところへ来たロボットが作られる未来にならないかも、では自分で作ればいい。

・人間型ロボットが働く未来
タクミは家で人間型ロボットを考えて、難問が多いことに頭を抱える。
これからもいろんなロボットがうまれていくことは間違いないが、人間そっくりなロボットをつくるには時間がかかるだろう。でも技術はいつ爆発的に進化するかわからない。
人間型ロボットをつくる目的ははっきりわからないけど、携帯電話だって、いつ役に立つかわからないといわれていた。使ってみたらすごく便利なんてこともあるかもしれない。
それを聞いてタクミは元気いっぱいになる。
そして、未来。タクミは宇宙飛行士になり月の宇宙船ドックから木星に出発することころだ。
船内にはあのロボットが2台。宇宙での作業や話し相手として乗っているのだ。


☆流した水はどこへ行く?
解説は下水から上ってきた河童。そうじをして排水をたくさん流したあやめちゃんにお説教する。
台所やふろの排水は、一度小さな汚水ますに集められ、マンホールの下の大きな汚水ますに集まって下水道管に流れ込む。汚水は下水処理場に送られる。
最初に沈砂池で砂をしずめ、活性汚泥をまぜて空気をふきこむ。これは泥の中の微生物を元気にして汚れを食べてもらうためである。
汚れを食べたりくっつけた微生物がしずみ、きれいな水が残るのでそれを塩素消毒して川に排水する。
見た目はキレイになっているが、化学薬品や農薬は微生物が食べるのに時間がかかるので分解しきれないで排水される。洗剤の窒素やリンなどの栄養物も同様で、川に流れると微生物が増えすぎてその死体で赤潮やアオコが発生する。
昔の川は今と比べ物にならないくらい汚れをきれいにする力をもっていたが、コンクリートで固められその力はない。それに水をきれいにしたとき、1000のうち1の汚れが残っているとしたら、循環するうちに汚れは蓄積するのは間違いない。
皿の油はふき取ってから洗う、排水溝から食べくずを流さないようにネットをつける。無駄に洗剤や石鹸を使わない、一人一人がこうして気を付けることで水はキレイになる。
人間は水なしでは生きていけない。水は地球の中を循環している。それを知ってもまだ水を汚しますか?

☆汚れをきれいに落とすには?
解説は界面活性剤の形をした「洗い」の専門家サポーくん。
水と油は混ざらないが、界面活性剤は水になじむ部分と油になじむ部分があって、油を取り囲んで水に溶かして汚れをとる。
石鹸も洗剤もどちらも界面活性剤だが、あまり強力な界面活性剤をつかうと油をおとしすぎて、はだはカサカサ、かみはパサパサになってしまう。
石鹸の歴史は3000年ほど、最初は肉を焼いた油が肺におちたのがはじまりといわれている。
脂肪酸とアルカリが反応したものが石鹸。
むかしの石鹸は灰汁やくさったおしっこなんてものあった。
ヨーロッパでは硬水なので石鹸で汚れを落とすのが難しかった。そこで石炭から合成界面活性剤が作られた。その後石油を原料とする洗剤が世界中に広まった。
ただ、洗剤に含まれるリン酸塩で植物プランクトンを増やし過ぎて水中の酸素がなくなり、プランクトンや魚の大量死を引き起こした。その後無リン洗剤ができた。
そのほかに合成された界面活性剤には毒性のあるものがあるので、リンがはいていなくても困ったものである。合成界面活性剤なら原料は天然のものであっても理屈は同じ。
あと石鹸でも使いすぎると水を汚すから注意。

☆ボールの翼
解説は顔が渦巻きのミスター・ボルテックス、だけどみんな「なると男」と呼んでいた。
空気の中を進むとうしろにはウズができる。それは進行方向への動きを妨げる。
これを防ぐために空気の流れをはりつけるために表面に小さな凸凹をつくって小さな渦をつくる。
これをボーテックス・ジェネレーターといういう。
この凸凹は野球のボールなら縫い目、ゴルフボールならディンブルという凹みになる。
ボールがカーブしたりシュートしたりするのは、飛行機の翼が真ん丸になったのと同じこと。
上側では空気の流れとボールの回転は逆、下側では同じになって、下側の空気だけが加速して曲がる。
ボールは回転することで飛行機の翼のように空を飛んでいたのである。
フォークは回転しないボールで空気のブレーキを利用して落とすのである。



まんがサイエンス〈8〉ロボットの来た道

まんがサイエンス〈8〉ロボットの来た道

  • 作者: あさり よしとお
  • 出版社/メーカー: 学習研究社
  • 発売日: 2004/02
  • メディア: 単行本




まんがサイエンス 8 ロボットの来た道


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